IE9ピン留め
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「太っちょオバサマ」のために靴を磨け
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絶対動機


父が難聴である事と僕が写真を撮る事の因果関係は無関係!
とは言えなくなってきたね!
歳かね?

若いうちに人の話しを聞く事をヤメた男と息子との思春期の満たされざる関係はアパートでワイドショーを見ながらセックスした女の撮る写真によってあああ。
快楽とともに腑に落ちて不条理な別れをセンチメンタルにして
動機になって怒りや嫉妬や悲しさや寂しさがないまぜになって数年、浄化濾過昇華上澄み沈殿分解。

ピターン。ぴたーん。

水面が鏡面のように世界が平等になって無意味なただ存在と経験が押し寄せて無垢を孤独と勘違いしそれでもそれでもワッシワッシ。

どっかーん!がっ!がっ!ハァハァ。
生きてるのね。生きているから。

僕は私はどうでもいい。他人の痛みを汲み取ってそれでも鏡面の水面にしずかに沈めて世界に落とし込もう。
それからそれからの。

本質的な無意識と無垢の先の歓喜が写りますよう。

祈りのような写真の動機は自らの痛みから。
父へ。
いつか彼が救われますよう

彼女達が言い訳せずに幸せであることと
僕がいつまでも覚えていますよう

夢が至るべきところへみんなを連れて行けますよう
# by ubulabo_07 | 2011-10-31 13:51 | 本日 | Trackback | Comments(0)
Where is love ?
アイリーン・クラール / Where is Love ?(you tube)

Where Is Love

Irene Kral / Choice



探し物が見つかりました。

私は随分長い間、今日までこのアルバムそして歌手の名前さえも知らずに何の表記も無いカセットテープとして所持していて、ふと思い出したように聴いていたのでした。
この一つのカセットテープを聴く為にカセットデッキも処分せずに持って。

いつからこのカセットテープが私の手元にあるのかはどうしても思い出せない。
ただ、私がカセットに録音したものではないので誰かが私にくれたか貸したかしたのでしょう。
その時期を大雑把に特定すると、社会人になってからbarなどで出会った音楽仲間と遊んでいた時期の2000年から2005年頃か?
カセットテープに何の思い出もありません。
ただ純粋に女性の歌声やテンポが気に入ったのでした。

大学でジャズ研究会に所属していた私にジャズは私の学生時代を彩った大切な音楽です。大学卒業から数年経っても当時は大学時代をあの頃と言いたくなくて、そう言ってしまうと途端に過去の出来事になってしまうから、輝きを増すばかりの大学時代に追われて逃げるように、とにかくジャズだけは続けて未熟ながら音楽活動をしていたのでした。
そうして何者でもなかった学生という空気を終わらす事無く半分引きずって生きていました。

カセットに録音された音楽は私がやっていた音楽や好きで聴く音楽とは違うものでした。けれどそこにある音楽の特異性は私を見つけました。一見古くさく、ピアノとボーカルのデュオで決して派手ではなくむしろ地味で。一曲とてリズムの出る曲もない。しかし本質はいつもシンプル。とにかく私のなかにスッと入り込んだのです。とても不思議な事。。

そうしてこのカセットテープは僕の元にあるのでした。完璧なものはそれだけで充分ですね。充分と思えるから女性ボーカリストの名前やアルバム名まで求めませんでした。一本のカセットテープの存在で充分だったのです。

過去を過去としない日々でさえも、それでもやっぱりあの頃になってしまう今日という日。私はもう随分前にそのことで苦しまずに済むようになっていました。
カセットテープを再生した時、そうなのか。そうなんだと気づいたのです。だから今日、初めて曲名で検索しました。
本当はもっとずっと前にそうしても良かったのに今日という日がそうすべき日だったのです。

アイリーン・クラール / Where is Love ?

有名どころは知っているけどジャズボーカルには疎い。
検索して出てきた文字に何の想いもなく。ああ。そうなのか。と
けれど私の人生であえて曖昧にしていた一つの物事がはっきりした瞬間でした。
曖昧なまま、過去を過去としたくない。それだけの事で何かにしがみついていた私。捨てきれず引きずって苦しんだ私。無意識にそんなものをアイリーン・クラールという女性の声に溶かしてカセットテープに封じ込めていたのかもしれません。

曖昧を明確にしたことでスッと霧が晴れるようにクリアになり何かが腑に落ちる。

方法は違えどもそういうことはみんなにあるんじゃないかと思う。
僕には曖昧なままなことがたくさんある。明確になる事は多少怖い。
それは時期がくれば自ずと今回のように晴れて行くことなのかもしれないし、ずっと曖昧なままでいる事が喜ばしい事なのかもしれない。

私が大好きな彼女の声。
ほんとうの彼女の声は私がテープで聴いていた擦り切れた声とは少し違うものでした。
それは私をほんの少し微笑ませる予想外の新しい”事実”なのでした。

# by ubulabo_07 | 2011-10-13 21:14 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
dark room
小林紀晴「暗室」幻灯舍 読了。

7人の(売れてない)写真家オムニバス。いくつかは面白かったです。写真やってない人にどれだけ伝わるのか私には解らない本。
例えば、ダークバックに手を突っ込んでフィルムをリールに巻くときの感覚は知らない人は知らないと思う。
風景と光景の違い。
写った顔だけ黒く焼きこんでしまうこと。
言葉にしないこと。すること。
行程と環境の肌感覚の先の意味付けの無い行為。

閲覧者は知らなくてもいいことに溢れてるなw 写真は。
そう、写真は見て感じれば良くて、解らなくていいことに説明や理解を求めることはナンセンスなのだと思うけど、実は面白い部分でもあります。小説になっちゃうくらいに。

2000年に出された本。今や暗室の意義もだいぶずれてきているし。
暗室は秘め事なのだw

私もたまには暗室作業をしますが大抵はフィルムをスキャンします。これはデジタルの作業ですが、デジカメではないのですね。フィルムは自家現像するし。
フィルムは撮ってから少し寝かすことにしています。撮ったときの記憶が鮮明なうちは現像しません。
なぜかそうした方が現像したフィルムを見た時に最初の出会いに近い気がするからでしょう。
そんな感覚もあり、私はデジタルカメラを一台も持ってない。それはそれで問題つーか、デジタルの表現に対応していないのだから。
それにしても道具としてのデジタルカメラにグッっとくるカメラに出会えていないせいもあるかも。

デジタルになっても変わらないちゃ変わらない。が、デジタルになり省かれた行為そのものは哀愁溢れとるw そこに捕われては前に進めない

デジタルカメラでも写真は秘め事でいいと思う

# by ubulabo_07 | 2011-09-15 00:31 | | Trackback | Comments(4)
写真と花。
写真と花。

写真と花、その行為は真逆。
内と外のよう。
写真は内的な宇宙。
花はとても身体的。
しかしその根本はゼロ。
共通しているのは意味を持たないこと。
世界を相手にしていること。

そんなとこが気に入っている。




# by ubulabo_07 | 2011-09-02 00:40 | 布団雑記 | Trackback | Comments(0)
かしゃま文化会館
ずっと行きたかった「かしゃま文化会館」に行ってまいりました。
http://www.kasyama.com/

ここで出会った人達のすばらしかったこと!
すべての人がお互いを尊重しあって気持のよい空間に自然と集まっていて、初対面の私なのに出会ったほぼすべての人と自然に会話をしてゆっくりコーヒーを飲みくつろげました。
行ったことも無かったので笠間という土地に対してあまり特別なイメージも無かったのですが、焼き物の町でもありその為に作家さんやアーティストが集うのでしょうか、クリエイティブな思考や遊びが人々の生活に組み込まれているように感じられました。少なくともかしゃま文化会館に集う人々はそうなのでしょう。
本当にひさしぶりに部活の部室レベルで気の会う仲間に出会えた気がしましたw(褒め言葉です)
写真も撮らせて頂いたのでうまく撮れていれば次に行くとき持って行こう。
町をまわって焼き物もじっくり見てみたい。
そういえば、焼き釜もだいぶ地震で損傷したようです。
修復が大変だとか。

益子と似たテイストですが笠間オリジナルの空気は気取らずお高くとまらずほっとするもので地元のようですが、地元には無い個人レベルの物づくりへの寛容さが町に溢れ、それを楽しんでいる感じがとても羨ましい





# by ubulabo_07 | 2011-08-27 01:06 | メモ | Trackback | Comments(0)
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